ストイックさについて

半狂乱になって造形美を追い求める。そんなスタイルを貫く人々に魅力を感じるのはなぜだろうか?めんどくさいめんどくさいと言いながらも描き続ける宮崎駿監督の心境はどんな感じなんだろう?一点に集中して、かと思いきや全体のバランスを観ながら形を整えていく造形師の眼力とはどんなものだろう?デザイナーの一枚の絵から独自の解釈をして形に落とし込むクレイモデラーの日常の着眼点とはどんなものだろう?何を観ているのだろう?そんなことが非常に気になる。

細部までこだわりを持つことは、時としてビジネスシーンにおいては、無駄だと言われることがある。そんなところユーザーは見ないよ。そんな見えないところにいつまでこだわってるんだ。スケジュールがあるんだから早く決めろよ。クリエイターは優柔不断であり、なかなかはっきりしないという印象をお持ちの方も多いのではないだろうか。しかし、クリエイター魂としては、こだわりを評価する、もしくは価値を見出す文化は最も大切なことだと思う。こだわりポイントを妥協してしまっては、全く価値のないものになってしまう。

トップクリエイター達はこういった白羽の矢がたった時にどう切り返してどう説得していくのだろう。そこには想像とする美学があり、イメージの哲学があり、常に変容し続けながらも、その時に感じている確かなる違和感が存在し、その違和感を払拭するための信念があると思う。その時々のインスピレーションや瞬間的なイメージの凝縮を捕まえて即座に表現し、客観的な立場で評価を行い、冷徹なまでの眼差しで自己の作品を突き放して、より良くするにはどうすれば良いかを熟考する。このサイクルを循環させられるような制度であったり、社会の仕組みであったり、文化が醸成させることを願う。

こだわりを持つことはクリエイターとしては悪くないことだと思うんだけど、なかなか社会構造の中では、わがままになったり、KYになったり、場を乱すことにも繋がったりするので、結構自己嫌悪に陥ることが多い。ある人からすると、自分の立場のことを考えていない!と怒られたり、時には喧嘩に発展することにもなる。でもこだわりを貫き通したいから、そうなるわけで、ここで折れるわけにはいかないという場面では戦うしかない。些細なこだわりかもしれないけどそのこだわりを大切に育む組織の文化なり、企業の文化って大切じゃないかい?と思う。創造することはそんな簡単なことじゃないし、日々悩みながらも、変容し続け、探し続け、自己変革をしていかなければいけない。そういうスタイルを称え合ったり、賞賛する仕組みが、まだまだあまりないなぁと感じ、そんな疑問は抱き続けながらも、効率主義や資本主義構造の波にのまれながらも、もがくしかないんでしょうね。